シュテファン・ツヴァイク『ジョゼフ・フーシェ』

  億単位の人間がうごめく社会にあっては、社会を空から俯瞰してみる限り、雑踏の中のいずれかの個人を特権的で、自律的な主人公とみなすことは到底不可能である。頭上を急流が流れる川床で、大小の石が大きな力に押しつ揉まれつしながら、いずれは平らな底の一構成要素として適当な場所に収まるように、社会から逃走しない限りは、おおむね誰でも相応しい場所に収まるものだ。人間ならざる者にさえ見えるフーシェの運命もまた同じである。彼は議会や国王、皇帝を前であればいざ知らず、世界を前に男一人で立てば、何ら特別な存在ではなかった。それは六十歳を前にして完全に失脚し、プラハへと落ち延びた頃のフーシェが驚くほどに無力だったことからも明らかである。

P.195 頭脳は明晰を極めながら、しかもかく猛烈に暴れ回る光景は、澄み渡った大空に突然嵐が吹きすさぶが如き壮観であり、人間精神の示す一つの巨大な造化の戯れと言うべきものであって、こうした狂暴さのためにこそ、たった一人の人間が幾十万の人間を殺戮する犯罪であると同時に、人類の伝説を豊かならしめるあの諸々の好意が生まれてきたのである。

ツヴァイクの書く言葉に、私も十分に魅了されたと思う。ただ、上記のような箇所を読むにつけ、1930年という微妙な時代にあって彼が余りにも無邪気過ぎたということ、過去の時代と戯れ過ぎたということも感じられる。(文芸に限らず)”華麗”な作品をものする作家とはいつもそうしたものだ。技を己のものとし、一分野に精通したものと信じ込んだが運のつき。実際には作家の方が芸術に、それも容易かつ絶えず変転を続ける芸術の一時代にのまれているのだ。彼の時折鼻につくような断定口調も、この当時黎明期を迎え、それ以降もう二度とない程にもてはやされていた心理学に由来するものだろう。手法という面でも、彼は時代の申し子(という名の奴隷)だったのだ。

 いやしかし、もし彼がこうした戦前期にあって、近づいてくる幾千の軍靴の音を確かに聞き分けながら、敢えて無邪気な態度を決め込んでいたのだとすれば、どうだろう?一文人の手ではどうにもならない世界への秘かな反逆として、文芸という観念の楽園にぎりぎりまで籠城していたのだとすれば、どうだろう?

…うん。伝記も読んだことがないような100年前の作家の人生とその信念とを、こんな風に大変勝手に、喜々として思い浮かべようとしたのだ。やはり私もツヴァイク、そして彼が描き出したフーシェに心底魅了されたに違いない。何と言っても、この伝記がここ一月の読書の中で、最も愉快に読み進めることができた本だったのだから。